Introduction
島を訪れリサーチを進める中、私は一種神秘的な神々しさを感じた。
それはかつてミシェル・フーコーが提唱したヘテロトピアの概念を思い起こさせた。
「実在的な場所なき場所」本質的には非実現的なユートピアに対し、
ヘテロトピアとは「実際に位置づけることができる」一種神話的な異化効果を持つ他なる場所。
そんな概念、まなざしをこの瀬戸内全体に感じたのだ。一つの意識、概念を通じて風景を見たとき、その瞬間に景色が自分だけの心象風景となって映し出される。
そして、この島を訪れる多くの人々にその体験をしてもらいたい。
来訪者が目の前の景色を能動的に、自律的に捕らえるための起爆剤になりうるもの。それを創る試み。
単線的な時間の流れに風を送るように、一つの異質的概念を提唱することでヘテロトピア的まなざしを持つきっかけを作ることはできないだろうか。
しかし同時に、私たちはこの美しい島々に直接手を加えることに、どこか後ろめたさを感じていた。
物理的に手を加えることなく、既にあるこの島々に新たな心象風景を見出すには、そうした問いの答えのひとつとして、本を媒介するという手段に行き着いた。
島から島へと移動するこの「時空間」に一つの虚構、カプリッチョ(奇想)を設けることで、異質空間へ誘う。
本という秩序だった媒体の内に、混乱、ミクロのカオス、言迷、神秘、虚構という計算不可能な「曖昧さ」を導入し、ヘテロトピアのまなざしを、想像が事実を超える瞬間を期待する。
画中では島々を擬人化することで、子供の概念獲得を支えるアナロジーの働きの様に、対象へ人に関する豊富なイメージを対応付けるアナロジーの働きを誘う。
瀬戸内のこの美しい風景を目の前に、来訪者一人ひとりがそこに新たな心象風景を生み出すことで、その景色は現実と夢想の狭間を行き来し、反芻し、覚醒し、やがては自分だけのものとなる。
島を離れた後もその風景は持ち帰られ、心象は日々の中で次々と派生していく。
一見、自己の中から正起しているように感じることも、個人の精神世界と外部の世界、相互的な関係性から生まれ、創造され、ずれ、歪曲、混沌、重合を孕みつつ増殖している。
アートとは独我論を越境し、その都度創りだされる一つの出来事なのではないだろうか。
Proposal
瀬戸内全体の新しい心象風景をつくる瓦版(小冊子)を提案する。
幕の内弁当のような個性ひかる島々が点在する瀬戸内の海を大きな寄席劇場と見たて、出演者(島を擬態化)の個性的なプロフィールとあるはずもない演目を記載した瓦版を製作。
瀬戸内の何の変哲もない日常の風景、そのままの姿、そのままの美しさを別の角度から光を当て、瀬戸内全体を創造的に再考する機会を提案する。
瓦版はポケットに簡単お手軽に携帯可能。船の移動時間や作品と作品の合間にパラパラと見ることができ、芸術祭を訪れた鑑賞者の高揚感を相乗させ、また瀬戸内全体を曖昧に、楽しげに繋げるツールとなる。
Setouchi Triennale 2016
「瀬戸内大活芸ハライソ」
KINAI COMMON ROOM (喜内順子)+倉島 宏幸
Location : Kagawa, Japan
Program : brochure
Status : International Competition